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白百合学園小中高、千葉大建築専攻、スタバで社会性をキャンピングツアー部で度胸を得て、現在修士2年。07年9月よりパリにて留学生活をしてきた。no painもといno paris, no gainを綴り、今はTokyo生活を綴る。


by noirblanc_yuko
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ふと気づくと、会社員8年目になっていた。


ふと時間を確認すると、もう11半でもうすぐ昼食だ、
というような感覚。

がむしゃらに働いてきた。
憧れのスーパーゼネコン設計部に入社し、
おじさんだらけの打ち合わせ、男にまみれて働いてきた。
文字通り。
朝の8時半から、終電まで。
そんな日々が続くときもあった。

いわゆる「小さい頃からの夢」を実現できた。
そろそろ次の志に取り掛かろうと思う。
わがままと言われるかもしれないが。

数日前に、会社に退職届を出してきた。


これから、私の次のステージが始まります。
9月はそれまでの充電期間。

と、その前に、、、
平凡な夏休みの記録。


1日目;美容室にいってきた。
夜、大学時代の友達と、近所のイタリアンへ。

まずは、形から入る。

仕事に忙殺されて、「生活」をしてこなかった分、
毎日と自分を大切に生きていこうと思う。




# by y-hiro83 | 2016-08-12 23:21 | 日記
建築の勉強をして7年(そのうちの2年は都市計画研究室に在籍)、
設計の仕事をして6年、目から鱗の一文。

p76-77

「建築や都市計画の文献は窓、眺望、視線という点からプライバシーに取り組んでいます。
生活しているところをだれも外からのぞいたり眺めたりできなければ
ーほらごらん、これぞプライバシーとうわけです。
愚かな話です。
窓のプライバシーなんか、これほど簡単に手に入る代物はないくらいです。
日除けを下ろすかブラインドを調整するだけでいいのですから。
でも私的なことを自分の選ばれた人たちだけに知らせてとどめるプライバシー、いつだれを自分の時間に入り込ませるかをそれなりの水準で管理するプライバシーは、ほとんどの場合まれにしか手に入らない財で、
これらは窓の向きとは何の関係もありません。」

学生時代の設計課題の「コンセプト」にほぼほぼ登場する常とう文句「プライバシーとパブリック」
これをいわゆる「建築手法」で制御するのにまさに「窓の向き、フロアの高さ、視線の交わり」という
ワードが登場し、大量の「→」をコンセプト図に書き込んでいた。
仕事を始めたいまもあまりそれは変わらない。

いま、シェアハウスで暮らし始めて3ヶ月たった身として考えるのは、共用のリビングに訪れることた。まさに「いつだれを自分の時間に入り込ませるか」を行っている、と気づいた。
建築手法ではなく、行動。
シェアハウスの共用部は都市の街路空間。
# by y-hiro83 | 2015-06-10 16:33 |
学生時代からの宿題の本を社会人7年目にしてようやく読み始めた。
以下、本文より抜粋と雑感。


p53
「行動というのは確かに、自分が街路の所有者だとある程度強く自認していないと起こりません」

その昔、私は小学校〜高校まで九段下から靖国神社を通学路としていた。
ある日高校せ2年のときに靖国神社から九段下の駅に向かう途中で目のまえを歩く小学生男子
(おそらく高学年にさしかかったころ)が、ペットボトルをポイ捨てする光景をみた。
それを見た私は、友達の驚きの眼差しも気にせず、小学生男子に近寄り、

「落としましたよ」

とまるでオフィスのお局のように彼らに声かけかけたのを覚えている。
学生時代の私にとって無意識のうちに「自分が街路の所有者だと自認」していたことを
思い出した。

その後、不機嫌な表情を浮かべ、反抗期手前の小学生男子は、
数メートル歩いた先で、さらにペットボトルを落としていった。

それを見た私が、さらに声をかけたか、自らペットボトルを拾いゴミ箱へと運んだかは
記憶にないのだが。。

街路の所有者、だと高校生ながらに無意識で感じでいた思い出だった。
# by y-hiro83 | 2015-06-10 12:28 |

修了式翌日の朝


修了式を25日に終えて、いま31日。
1週間が経つけれど、その時間の早さは、もう考えたくもなかった。

もう、私はジェットコースターの着席に座り、安全ベルトを締め、
肩に安全バーを下ろしている。

そして発射の合図を待っている。
係員のひとが、最終点検を澄まして、発射のベルをいま、鳴らそうとしている。
そんな情況だ。

26日の明け方は、身にしみるほどの寒さとともに、眩しい朝焼けが、壕の向こうに生えるビルの側面を照らしつけていた。


朝5時の西千葉発の電車に乗り込む。
空は暗く、7年間近く見続けていた「西千葉駅」の看板がぼんやりと証明に照らされている。
そして改札をくぐり、再び暗い空のもと、ホームに立つ。
疲労にまみれた体を幾度無く西千葉駅に立たせ、総武線を待っていた日々。
これも、もう最後なのか、と、修了式を終えて18時間後に、ふと実感する。

黄色い電車が千葉駅からやってくる。
乗りこむ。

ここから始まる60分の旅。
稲毛、幕張本郷、幕張、、景色がどんどん過ぎ去って行く。

学部時代から使い続けたこの電車の窓から、
一駅すぎることに、走馬灯のように7年間の思い出が脳裏を駆け抜けて行く。

疲労と共に眠りつづけた60分、悲しみにくれた60分、友達にメールをつくり続けた60分、悩みに頭を絞り続けた60分、パソコンを開いて作業をした60分、わくわくして夕焼けの空を眺めた60分。

始発で乗り込む総武線。
終電で乗り込む総武線。

千葉大に行くために、
千葉大近くで飲む為に、
千葉大にいるみんなに会うために、
千葉大で学ぶために、
私は通っていた。

そして、電車が津田沼を過ぎ、市川を過ぎ、西千葉から離れていくにつれ、
この総武線が、学生時代→社会人行き列車に思えてきた。

止まらない勢いで駆け抜けて行く列車。
外の暗さで、窓に自分の姿が映り込んでいたのに、
いつの間にか、空は薄い紫色になっていた。
遠くの方で朝がやってきた。

列車は止まる事無く駆け抜けて行く。

ついさっきまで研究室でみんなでお酒片手にたわいもない話をしていたことが
ずいぶんと昔のことのように思えてくる。

西千葉駅が、学生時代が、どんどん遠ざかって行く。

錦糸町を過ぎ、秋葉原を過ぎ、お茶の水で乗り換える。

早朝と夜遅くの電車は、お茶の水で乗り換えなければならない。
そんなことに嫌悪感を覚えていたこともあった。

ホームは、朝の様相を照らしていた。

朝だった。

西千葉は、学生生活は、走馬灯の一部となり、もう、
戻らない場所になっていた。

そして、次の列車に乗り込む。

水道橋、飯田橋を経て、市ヶ谷に着く。

到着した。

いつもの60分の通学時間。
最後の60分の通学時間。

学生時代→社会人行き列車の窓からは、
7年間の思い出が、浮かんでは過ぎ去って行った。

市ヶ谷の改札の外は、思っていた以上に寒かった。
空気が冷たかった。

外濠の交番横に、桜がちらりと咲いている。
7年間、この季節、見上げてきた桜。

そして、同時に、桜の花びらが舞っていることに気づく。

いや、

違った

それは

粉雪だった。


あまりの寒さの中、朝6時の空から、粉雪が降っていた。

咲きかけた桜と、粉雪。

どうしようもなかった。

そして、駅近くに停めてある自転車にキーをさしこみ、
西千葉の思い出を胸にしまいこみ、
ペダルをこぐ。

桜と粉雪の中。

そして、はっと気づく。

外濠のむこうに生える、高層ビルの側面に、
眩しいくらいの朝焼けが差しつけていることに…!


7年間通い続けた千葉大学の修了式の翌朝は、これ以上考えられないくらいの、
空だった。

7年間で、最高の空だった。


咲きかけの桜と、僅かな粉雪、目を細めたくなる朝焼け。



09年3月、千葉大学を卒業しました。


あしたから、新しい走馬灯の続きが始まります。
# by y-hiro83 | 2009-03-31 23:20 | わたくしごと

「観音普陀落浄土」 1972年
白髪一雄(1924- 2008)  兵庫県尼崎生まれ、抽象画家
「青」のとなりに確か「赤」があって、赤のみでないけれど、
これの、どこがどう観音普陀落浄土なのかわからないけど、
そもそも観音普陀落浄土を理解してない。

足で描く抽象が。
白髪は出家もしていたらしい。

滝壺があり、その奥は観音さまの普陀落浄土につながっている。
赤_c0093935_23542791.jpg

# by y-hiro83 | 2009-02-22 23:54 | art