修了式を25日に終えて、いま31日。
1週間が経つけれど、その時間の早さは、もう考えたくもなかった。
もう、私はジェットコースターの着席に座り、安全ベルトを締め、
肩に安全バーを下ろしている。
そして発射の合図を待っている。
係員のひとが、最終点検を澄まして、発射のベルをいま、鳴らそうとしている。
そんな情況だ。
26日の明け方は、身にしみるほどの寒さとともに、眩しい朝焼けが、壕の向こうに生えるビルの側面を照らしつけていた。
ー
朝5時の西千葉発の電車に乗り込む。
空は暗く、7年間近く見続けていた「西千葉駅」の看板がぼんやりと証明に照らされている。
そして改札をくぐり、再び暗い空のもと、ホームに立つ。
疲労にまみれた体を幾度無く西千葉駅に立たせ、総武線を待っていた日々。
これも、もう最後なのか、と、修了式を終えて18時間後に、ふと実感する。
黄色い電車が千葉駅からやってくる。
乗りこむ。
ここから始まる60分の旅。
稲毛、幕張本郷、幕張、、景色がどんどん過ぎ去って行く。
学部時代から使い続けたこの電車の窓から、
一駅すぎることに、走馬灯のように7年間の思い出が脳裏を駆け抜けて行く。
疲労と共に眠りつづけた60分、悲しみにくれた60分、友達にメールをつくり続けた60分、悩みに頭を絞り続けた60分、パソコンを開いて作業をした60分、わくわくして夕焼けの空を眺めた60分。
始発で乗り込む総武線。
終電で乗り込む総武線。
千葉大に行くために、
千葉大近くで飲む為に、
千葉大にいるみんなに会うために、
千葉大で学ぶために、
私は通っていた。
そして、電車が津田沼を過ぎ、市川を過ぎ、西千葉から離れていくにつれ、
この総武線が、学生時代→社会人行き列車に思えてきた。
止まらない勢いで駆け抜けて行く列車。
外の暗さで、窓に自分の姿が映り込んでいたのに、
いつの間にか、空は薄い紫色になっていた。
遠くの方で朝がやってきた。
列車は止まる事無く駆け抜けて行く。
ついさっきまで研究室でみんなでお酒片手にたわいもない話をしていたことが
ずいぶんと昔のことのように思えてくる。
西千葉駅が、学生時代が、どんどん遠ざかって行く。
錦糸町を過ぎ、秋葉原を過ぎ、お茶の水で乗り換える。
早朝と夜遅くの電車は、お茶の水で乗り換えなければならない。
そんなことに嫌悪感を覚えていたこともあった。
ホームは、朝の様相を照らしていた。
朝だった。
西千葉は、学生生活は、走馬灯の一部となり、もう、
戻らない場所になっていた。
そして、次の列車に乗り込む。
水道橋、飯田橋を経て、市ヶ谷に着く。
到着した。
いつもの60分の通学時間。
最後の60分の通学時間。
学生時代→社会人行き列車の窓からは、
7年間の思い出が、浮かんでは過ぎ去って行った。
市ヶ谷の改札の外は、思っていた以上に寒かった。
空気が冷たかった。
外濠の交番横に、桜がちらりと咲いている。
7年間、この季節、見上げてきた桜。
そして、同時に、桜の花びらが舞っていることに気づく。
いや、
違った
それは
粉雪だった。
あまりの寒さの中、朝6時の空から、粉雪が降っていた。
咲きかけた桜と、粉雪。
どうしようもなかった。
そして、駅近くに停めてある自転車にキーをさしこみ、
西千葉の思い出を胸にしまいこみ、
ペダルをこぐ。
桜と粉雪の中。
そして、はっと気づく。
外濠のむこうに生える、高層ビルの側面に、
眩しいくらいの朝焼けが差しつけていることに…!
7年間通い続けた千葉大学の修了式の翌朝は、これ以上考えられないくらいの、
空だった。
7年間で、最高の空だった。
咲きかけの桜と、僅かな粉雪、目を細めたくなる朝焼け。
09年3月、千葉大学を卒業しました。
あしたから、新しい走馬灯の続きが始まります。